戦後のスポーツのあり方と競技団体の組織、事業について話し合うなかで全国体育大会の開催が提案され
GHQの全国的な承認、政府から40万円の補助金を得て
第1回国民体育大会、いわゆる国体がスタートした
1946(昭21)年の事である
第一回は京阪神地域にて開催された近畿国体(1946年)
第二回は石川県にて開催された石川国体(1947年)
そして第三回目は、ここ福岡県にて開催された福岡国体(1948年)である
その中で旧小倉市が自転車競走を引き受けた
戦災都市復興及び自転車産業振興を目的とする自転車競技法が国会で可決された年にもあたる
国体のために建設する競技場を、そのまま競輪に活用しようという考えから
旧小倉市長>浜田良祐などの努力により全国初の競輪事業を誘致し
1948(昭23)年:国体終了後の11月に第1回小倉競輪のレースが開催された
日本初の競輪のスタートである
小倉競輪4日制初開催の日曜日には、約2万人が押し寄せ行列をつくった
当時、大卒初任給が500円だった時代
1枚100円もする車券をファンは大事に握りしめ一喜一憂した
競輪祭など名高いレースを続けながら
<昭和54年度・北九州市主催・連勝式勝車投票券>
1998(平10)年:旧・小倉競輪場にての最後のレースが行われ
その戦いの場所は北九州メディアドームへと移された
福岡県北九州市小倉北区三萩野
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